![]() | 残虐記 桐野 夏生 (2004/02/27) 新潮社 この商品の詳細を見る |
物語は一通の手紙から始まる。
作家:生方景子(ペンネーム小海鳴海)の夫が担当編集者に宛てたものだ。
そこには、妻が失踪したこと、最後に残された原稿『残虐記』について、そして妻が少女の頃巻き込まれた、ある事件について書かれていた。
景子は十歳のときにある男に拉致され、1年もの間監禁される。
結果的には景子は救い出され、男は逮捕されるのだが、物語はそれだけでは終わらない。
知恵遅れがあるらしい、しかしどこかずる賢さのある男ケンジに攫われ、余儀なくされた奇妙な共同生活。
景子を“みっちゃん”と呼びならわし、昼と夜とで態度を一変させる。
昼は景子を性的な対象とし、夜は“小学生の男の子”となり景子のお友達を演じる。
交換日記をしようと云いだしたのもケンジだった。
夜のケンジは優しい気弱な男の子だ。
日記のなかで景子はケンジを責めるような言葉を書く。
ケンジは云い訳をする。
夜だけは、二人の立場は逆転していたように見える。
しかし景子も脱出の希望を捨ててはいなかった。
工場の2階に間借りしているケンジの部屋では、声を上げても機械音でかき消される。
ろくに食事も与えられない生活の中で、景子にとっての唯一の希望は隣の部屋に住むらしいヤタベさんだった。
ヤタベさんに見つけてもらえれば助かる!
しかしその希望はあっけなく砕かれる。
ヤタベさんは聾だったのだ。
絶望にくれていた景子を助けたのは、偶然訪れた工場の社長の奥さんだった。
しかし、奥さんが電話を掛けている間、景子は隣室のヤタベさんの部屋を覗き、そこにある物を見つけてしまう。
ケンジの部屋とを仕切る壁にそれはあった。
覗き穴だ。
実は物語の焦点はこの拉致監禁にはない、と云える。
景子は自分の身に起こったことが理不尽すぎて、その理由を見つけずにいられない。
なぜ?どうして?あれは一体なんだったのか?
解放後の景子の周辺で起こる変化。景子自身の変化。
異物を飲み込んでしまった心がなんとか消化しようと、想像力という消化液で心そのものをいびつに変えてしまっているともいえる。
作中、繰り返し書かれているのは“想像“という言葉だ。
景子は解放後、たくさんの人々の、監禁中にどんな目に遭ったのかという“想像“のシャワーに晒されつづけ、自身もまたケンジの本心、隣人ヤタベとの関係という妄想にその身を浸す。
それは彼女が高校生になって書いた世間を騒がせるに足る内容の小説となって表れる。
景子の妄想が膨らみ、創り出した物。
幼少時のケンジとヤタベさんとの間にあったのだろう性的関係。
そしてそれがケンジの成長と共に別の存在へと転嫁されていく様を描いたものだった。
それらは全て景子の妄想である。たとえ真実をついていたとしても・・・。
想像を巡らし、小説を書くことによって、一旦はカタチ付けたかのように見えるが、
結局思い知るのは、判らない、判りようがない。誰にも理解できるわけがないという現実。
25年経ち、出所していたケンジからの突然の手紙。
景子の失踪はそれに端を発しているのだが、それ以降の景子の行方は読者の想像力に任せられるのだ。
残虐記の最後で景子は告白している。
実は自分とケンジは愛し合っていた、ということ。
自分がケンジを好きになれば、どれだけ楽だろうという“想像”から生まれた愛ではあるが、
間違いなく二人は愛し合っていた。
しかし、それは事実だろうか。
ここは『ホテル・ニューハンプシャー』のフラニーのように、レイプされたという現実の
重みを支えきれず、自ずから受け入れたかのような心理に陥ってしまったようにも読める。
実はこの“残虐記”は作中作であり、実際とは齟齬があるということが、
景子の夫の手紙によって述べられている。
しかしそこにどれだけの意味があるのか。
なぜ?どうして?あれは一体なんだったのか?
私たち読者もまた想像の海を漂わなければならないのだろう。
読むことが、下世話な好奇心を収めるためだとしたら、小説としては実はさして面白くない。
.カ行の作家 桐野夏生 | trackback(0) | comment(0) |
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