真鶴真鶴
(2006/10)
川上 弘美

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京には12年前に失踪した夫、礼とのあいだに一人の娘がいる。
今は母親と娘の百と3人で暮らしている。
青茲という恋人はいるが、彼には妻子がある。

    ある日、思い立って真鶴に出かけると、ついてくるものがあった。

京にはときとして、自分についてくるものの存在があった。
それは男だったり、女だったり、うすかったり、濃かったりする。
真鶴でついてきたのは女だ。
女は礼について何か知っているようであり、知らないようでもあり。

京ととても近くなりかねない存在感を顕にすることもあった。

なぜ自分が真鶴にひかれるのかはわからないが、女に呼ばれるように、再び訪れてしまう。
そして、ある日、残された礼の日記の中に「真鶴」の文字を見つけてしまうのだ。
『東京日記2』に記されていた“官能的な恋愛小説”とはこの作品のことなのだろうか。
川上氏の書くラブシーンが私は好きだ。
あからさまな表現はないのだが、
うるんだり、ほどけたり、うらがえしにさたり、にじんだり、
そのことばたちが、まとわりつくように、あるいは肌に吸い付くように、なじむ。
こういったことは至極まれだ。

とはいえ、今回の作品は恋愛小説としてよりも、おんなたちの物語として読んだ。
母と私と娘。

“育つということはよけいなものを、たくさんまき散らす。
 本人にはどうしようもない。だからかわいそうになる。
 幼くて。知らなくて。
 ふえゆくことが、うとましいのだろうか。からだや、きもちや。
 子供を生もうとしている女も、そういえば、うとましい。もてあました。
 百を生もうとしていた自分を。”

“旅行、こんど三人でいきましょう。そう言って、母をみやる。
 かわいそう、という表情をしていた。
 母にはわたしが、幼くて、知らないものなのだ。”

京が百に対して抱く、いいしれぬ思い。
それと同じ思いを母から感じ取ってしまう京。
それはまるでマトリョーシカの入れ子細工のように、連綿と続いていくようにみえる。

子供を産んだことがなく、真っ当な親子関係を築いた事もない私に、そのリアリティを語る権利はないのかもしれないが、そこにひりつくような痛みを感じてしまう。
京は百の肌が大人びていくのをとてもおそれる。

“知らないぶぶんは、見せないでください、百。
 私の知らないままにしておいてください、百。祈るように思う。”

そうなのか、と私は思う。母は子の成長に怯えるのか、と。
これは、子供を産み、娘との間合いを計りかねている母親にぜひ感想を聞いてみたい。

もともと川上氏の文章は好きなのだが、これは特に「やられた」って感じ。
このひらがなや句読点には影響を受けてしまう。
一番好きかもしれない。
ストーリー自体は実は大したことないのかもしれない。
要約しても、ひとの興味を引けそうにない。
パラレルな文学って難しい。
それを補って余りある文体と、独特の世界観、それに含まれる家族観ということか。

最後にひとつ書いておかねば。
真鶴がいったいどこに位置するのか、私は知らない。
2008.04.29 
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