パライゾの寺パライゾの寺
(2007/06)
坂東 眞砂子

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旅の男が土地土地の古老の話を聞き書きしていくというスタイルの短編集。

『パライゾの寺』 (収録順と異なるがこれを最初に語りたい。)
切支丹の男の語り。

江戸幕府が倒れ、明治の世となった。
切支丹禁制が覆る事はなく、隠れ切支丹たちは捕らえられ、改宗を迫られる。
明治二年、長崎浦上村の信徒たち全員が二十二の藩に流罪にするという方策が採られた。
そうして土佐に送られてきた豊市たちだったが、狭い牢に閉じ込められただけで、拷問を受けるでもなく、おらしょを唱える毎日。
当然改心する者などいない。
ただ環境の悪さ、食事の貧しさに一人また一人と倒れていくだけだった。

寛大な扱いをして改心させるように、そういわれて藩庁から切支丹を預かっている村人たちは、彼らを扱いかねて、ひとつの方策を思いつく。
彼らが固く守り抜いている戒めを破らせて、転ばせようというのだ。

さくはもと武家の娘だったが、夫は戦死、維新で士碌は取り上げられ、暮らしに困って、義父母の生活のため、遊女屋に身売りをした。
自分の境遇を哀れとは思わず、どこかおもしろがっているような女だった。
さくはある日、隔てられた竹矢来の隙間から漏れ聞いた豊市の唄に心惹かれてしまう。
死んだら行く事ができるパライゾというきれいな国。
そこにほのかな憧れを抱きつつ暮らしていたさきは、豊市と出会うことになる。

哀しい話です。
豊市は一旦は改心を決意するが、自分から信仰を取ったら何も残らないことに気付く。
しかし信仰とは何なのか。
ただおらしょを唱え戒律を守っていればそれでいいのか。
なんの知識はなくとも、きれいでまっすぐなモノが人の思いの中にはきっとあります。
遠藤周作の書くのとはまた別の形で描かれている信仰の姿がここにあります。
私はこの作品が好きです。
『まんなおし』
金貸しの老婆の語り。

旧家の船宿、白波屋に嫁いだよしは美しく健康で、働き者。
夫の正一郎にも可愛がられ、腹の子は六月にさしかかり、幸せそのものだった。
お得意先の栄財丸が宿を訪れた日、船乗りたちの接待やら食事の支度やらで、忙しくしていたよしは、厠にいく暇を惜しんで、庭先で立ち小便をする。
斜面の中腹にある庭は海に面している。
小便をしているとちょうど港に船が入ってくるのが遠く見えた。
船に向かってよしは小便を飛ばす。小さな船に雨が降りかかっているようだ。

その翌日から得意先の栄財丸だけでなく、白波屋の客が見る見る減っていった。
よしが船を呪ったという噂が立ったのだ。
海の男たちは験を担ぐ。それは彼らが命がけの仕事をしているからだ。
まんなおしとは、不漁続きの時、漁師の妻が船に乗り込み、船霊さまに着物の前をめくって陰を見せる
厄払いのことだ。
そして船に向かって小便をかけるなどという行為は逆さまんなおしだ、と断じられたのだ。
よしは家族に疎んじられるようになる。
あれほど愛おしんでくれた夫さえもよしを忌み嫌う。

そうして虐げられたよしが真に怒りを覚えたのは、夫が自分を庇ってくれなかったのが、実は船を呪ったせいではなく、嫉妬によるものだったからだ。
そして男には許されることが女には許されないという理不尽。
ついによしは怒りに任せて・・・。

実感の湧かない作品だった。
よしの怒りが臨界点を突破するきっかけが、今ひとつ弱いように思ったからだ。
夫の主張は理不尽だけれど、人の感情とはえてしてそのようなものだし、よしの常軌を逸した行動は理解しがたい。
憑かれたようでもあって、そういった暗喩は見受けられないけれど、それこそ人を、家を、船を呪う厄災そのものによしは変化する。
呪うつもりはなかったが追い詰められて、ならば本当に呪ってやれ、と翻ったと見るか。
ただただ女であることに怒りを感じるしかないのか。

『残り香』
目が不自由で按摩を生業としていた老人の語り。

馬方の亭主を持つえいは降ったように訪れたささやかな休息を楽しんでいた。
亭主は殿様の荷駄役に雇われたせいで長の留守。
子供たちはえいの里のお社日に遊びに出かけている。
今ばかりは自分は自由にしていいのだ。
思う存分一人を満喫したえいが川原に洗濯に出ると、按摩の昌作が川を渡る姿に出くわした。
ほんの悪戯心で昌作を流れの急なほうに誘導するえい。
そこになかよしのみねが現れたものだから、調子に乗って二人して昌作を囃し立てたすえ、ついに流れに足をとられた昌作は転んでずぶ濡れになってしまう。
憐れに思ったえいは、みねと二人、昌作を家に連れ帰り、着物を脱がせ、体を拭きあげていく。
そのうち昌作の体が明らかな反応を見せ始めた・・・。

セクシーなお話だ。
もちろんそれだけには留まらず、女である前に妻であり、母であることを求められてきた女性が、ほんのひと時自己を開放することができた、ちょっと幸せなお話と読むことも出来るかもしれない。

『虫の声』
齢十三の子供が語る己が父親の話。椎葉村の六人斬り(本当にあったのか?

士族の家に生まれた貫之丞だが、幼い頃に維新となり、食碌は取り上げられ、今は百姓の家に婿養子に入り、妻のまつと4人の子供と暮らしている。
村のしがない居酒屋で働く吉衛とふとしたきっかけで親しくなり、懇ろになってしまう。
吉衛もまた過去には高知街の一流料亭の芸妓という過去があり、二人には若い頃には民権自由華やかなりし頃を経験してきたという思い出があり、相通じるものがあった。
二人の仲が村で噂にのぼるようになり、吉衛は居酒屋を首になってしまう。
村を出るという吉衛を引きとめ、自分の家に同居させるという常軌を逸した行動に出た貫之丞。
妻との離婚も企てるが、当時の法律では戸主は家を棄てる事が許されなかった。
切羽詰り、生活も立ち行かなくなった貫之丞と吉衛なのだが、自分たちの不始末を後悔する事はしない。
「自由じゃないかや」
貫之丞は何度もそう口にする。
なんとも身勝手な話で不快なのだが、当時の閉塞的なムラ社会や法を表しているのだろうか。
タイトルの虫の声とは、村人たちの批難の声を表している。

『六部さま』
黒原村に六部さまという霊験あらたかなお堂があるという。
その門前で茶屋を営んでいる女主人の語り。
カフェで女給をしているフキ子は客の淡中と親しくなる。
淡中は探偵小説家になるため土佐から上京してきたが、ものにならず、翻訳仕事をしながら食いつないでいた。
その頃の東京にはシマと呼ばれる貧民街があった。
長屋暮らしで便所は共同、悪臭と南京虫と虱がまといつくのが当たり前の暮らし。
フキ子がシマの出身であることを知った淡中はそれこそ小説の舞台にふさわしいとシマに移り住む。
しかし書けども書けども雑誌に掲載される事はない。
フキ子との間に子供ももうけるが、徐々に追い詰められていく。
二人目の懐妊を告げられたその時、震災が起こり、長屋は崩れ落ちる。
柱の下敷きになったフキ子とお腹の子供を見捨てて淡中は出奔する・・・。

女はどこまでも強か。そして現実的だ。
逃げ出す先などないことを知っている。
その後の顛末にちょっとしたオチ(?)があって、作中にも登場するが江戸川乱歩風と云おうか。
しかしこのオチ、どこかで読んだ気がするのだが・・・?
           ↑乱歩の『恐ろしき錯誤』のことらしい。


『朱の棺』
戦死した長男のことを語る母親。

長男の福寿のフィリピン海域で戦死の報を受け、利根は呆然とする。
しかも米軍輸送船団に単独で爆弾を積んだ船ごと激突。敵船を沈没させ、自らも玉砕したと云うのだ。
利根の知る福寿はやんちゃで悪さばかりしている子供だった。
大きくなっても喧嘩ばかりしていて、労役は仮病を使って休んだり、こすっからいところのある息子だった。
それがいつしか軍神と崇められ、見知らぬ人々が連日焼香に訪れるようになった。
息子がその本当の姿とはかけ離れたモノに歪められていくようで、息苦しく爆発しそうな毎日だった。
ある台風の日、浜に不思議なものが打ち上げられるのを利根は見つける。
木の棺のようなもので中には朱色の石が敷き詰められていた・・・。

戦争っていやだね。
思うことを口に出すこともできず、自分の子が死んだのに「お国のためにお役に立ててありがたいことです」だと。
利根は最後に福寿の夢に見ることで、自分の中で決着をつけることができたんだと思う。
それが本当は息子が夢枕に立ったのではなく、己のなかでだけ、納得の行く形で解釈をしたのだとしても。


『お接待』
最後にこの話集を編んでいる男が語り手として現れる。
ちょっとした怪談話だね。
2007.12.17 
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