ららら科學の子ららら科學の子
(2003/09/25)
矢作 俊彦

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「文化大革命をその目で見てみませんか」その言葉に誘われて彼は、妹たち家族を残し、日本を密出国した。
1968年。学生運動のさなか、警官に対する殺人未遂で追われる身となった矢先のことだった。
しかし、文化大革命の終焉とともに紅衛兵の下放に巻き込まれ、南方の農家に預けられた彼は、貧しい農民として暮らすことになる。
そして30年。彼は蛇頭の船で日本に帰ってきた。
船が着くなり蛇頭の手を逃れ、たった3つ記憶に残っていた電話番号にかける。
ただひとり連絡の取れた親友の志垣の計らいで、当座の宿を得た彼は、懐かしいはずの町を徘徊する。
町も人も様変わりしているように見える。しかし新しかったものは古び、古かったものはそのまま古い。
まるで浦島太郎のようだと記憶を手繰る彼。生家はすでになく、両親は死に、妹は行方が知れない。

町の景色、人との会話の合間にフラッシュバックする過去。
何のために中国に行き、何のためにそこに留まり、何のために日本に帰ったのか。
押し寄せるような30年の月日を、男は泳ぎきるのか、飲まれるのか。
2008.10.09 
メメントメメント
(2008/08/29)
森 達也

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中島氏、小谷野氏と続けてエッセイを読んできたがこれが一番。
タイトルは「メメント・モリ」(死を想う)からである。
著者がモリさんなので「メメント」だけ。

「経歴」
森氏はオウムのドキュメンタリー映画「A」を撮って、オウムの回し者として批難された経歴をもつ。
残念ながら私は観たことがないが、オウム信者の生活を撮影、それがごくごく普通の人間の営みで、ごくごく普通の人たちだったため、オウムを擁護していると叩かれたらしい。
サリン事件を起こした団体の信者に普通の人間がいるわけがない、ということだろう。
冷酷な殺人集団でなければ収まりが悪い、そんなところだろう。
そのような次第で一時期は相当叩かれたらしい。

では聞こう。
あなたの家族が人を殺したら、あなた自身も殺人者か?

「人が人を大量に殺すとき、悪意よりもむしろ、善意や正義や大義や使命感が働いている場合の方が圧倒的に多い」
悪意を持って殺すとして、ひとはどれだけの殺人を犯せるだろう。
10人も20人も殺すほどの悪意の持続はあるだろうか?
善意はどうだろう。正義感は?
たくさんの人が死ぬ時は根底に正義がある。
“戦争”の始まりはいつもそうだ。

「報道がつくる世間」
いじめによる自殺が報道されると立て続けに同様のニュースが取り沙汰される。
飲酒運転しかり、未成年の殺人しかり。
いつも思うのだがそれらは模倣したことによって連続しているのだろうか。
恣意的にマスコミが取り上げていることが認識を過たせてはいないだろうか。
日本の治安は悪くなっているとよくきくが、統計によると殺人事件の認知件数がもっとも多かったのは1954年の3081件だそうだ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」で描かれた時代。
2006年は1309件、2007年は1199件。(出典は犯罪白書からか?)

外国籍の人からみると日本のニュースは「殺人事件ばかり」「日本中で人が殺し合っているかのよう」に感じるらしい。
「妻が保険金目当てに夫を殺害した」
この事件のどこに報道する価値があるのだろう、妻がどんな容姿でどんな男性体験があって、などと根掘り葉掘り報道する必要があるのか。
知るべきことはもっとたくさんある。
私がテレビに辟易するのはまるでジャンクフードをもらうペットのような気持ちになるからだ。

「伊坂幸太郎からのメール」
伊坂の著作の中で登場人物が交通事故について喋るシーンがあるという。

「年間何千人という人が事故で死んでいるのに、車はなくならないじゃないか、テロよりよっぽど酷いじゃないか。命より利便性だ。」という趣旨のことなのですが<中略>これは森さんがエッセイに書かれていたことなんですよ。

伊坂は森氏のエッセイで読んだ内容を、まるで自分の考えたことのように思い込んでいたことに気づき、詫びると同時に「自分の思想」と「誰かの受け売り」の区別ができなくなって恐ろしいとメールを締めくくる。
かように伊坂は青臭い。(だから苦手だ)
スタートラインが他人の思想だとしてもそれを自分なりに咀嚼して嚥下した結果、体になじむと感じたなら使えばいい。表層の灰汁だけ掬い取ってわめき散らす輩は別として。
ちなみに自動車に乗らないヘビースモーカーの小谷野氏は路上喫煙を規制する前に「クルマがびゅんびゅん走って大気を汚しまくっている地域で、煙が有害などと言わせないし、火が危ないといったって、クルマが走っていることのほうがよっぽど危ない」「遊びでクルマを走らせるドライブなどというのは悪徳だ」とまで言い切っている。
いろんな考えがあり、それは果てしなくかけ離れたものでもない。自分の“考え”をあまり特別視しないほうがいい。
2008.09.27 
私の嫌いな10の人びと私の嫌いな10の人びと
(2006/01/18)
中島 義道

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この人は自分がマイノリティであることに価値を見出しているんだろうか。
“多くの同胞”などと人々を形骸化して、その愚かさや計算高さをあげつらい、非難する。
しかし著者が並べてたてる「笑顔を絶やさない人」や「いつも前向きに生きている人」はまるでドラマのヒロインのような人格ばかりで、現実にはお目にかかったことがない。
それゆえ説得力がないというか、まじめに考えるのも馬鹿らしいというか・・・。

そもそも論理が破綻しているように思えるのだが、これは私の読み取り方が穿っているせいだろうか。
人は家族という社会制度に縛られすぎている、よって家族以外の者が無闇に他人を心配してはならない、との説の例えとして、「妻が亡くなりました」という場合と「妾が亡くなりました」という場合を並べて論じている。
当然「妻」の方は周囲の人も真剣に応じるが、「妾」だとそっぽを向くだろう、というのだ。
それはもちろんそうだろう。
しかしこれは「妾」が他人だからではなく、婚姻外の男女関係が社会倫理に反するから、であろう。
他人である「友人が亡くなった」と聞けば、“多くの同胞”は真剣に耳を傾けるのではないだろうか。

夜回り先生の項では、“夜の世界”に身を投じている子どもたちを、水谷氏自らが信じる“昼の世界”へ救い上げようとしていることについて、“昼の世界”に転じたからといってそこに幸せが確約されているわけではない、と懸念(非難ではない)するわけだが、そのまま“夜の世界”に居続ければ子どもたちに「次」はないのかもしれないのだ。
確かに“昼の世界”で生き続けてもつまらないかもしれない。
しかし“夜の世界”ではあまりにも死が近すぎる。
著者は餞の言葉に「死なないでください」と書かなかっただろうか。
「言葉には誠実でありたい」と書いた著者の言葉に嘘はないはずだ。

ところで「どうせ最後には死んでしまう」と本気で思っているのなら、この人なんでさっさと死なないんだろ?
2008.09.17 
203号室 (光文社文庫)203号室 (光文社文庫)
(2004/09/10)
加門 七海

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都会にあこがれて上京してきた大学生清美は念願の一人暮らしを始める。
しかしその部屋では数々の異様な現象が起こる。
異臭、物音、ぬくもりを残した床、虫、しみ。
近所の人に聞いても特にいわくつきの部屋ではないという。
周りの人に相談しても、だれも真剣には受けあってくれない。
2008.08.17 
ワーキングプア―日本を蝕む病ワーキングプア―日本を蝕む病
(2007/06)
NHKスペシャル「ワーキングプア」取材班

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読んでいて心が蝕まれます。

路上生活をしながら、ハローワークに通う。
住所不定では面接に応じてくれる会社も少ない。
やっと面接を受けられると思ったら、交通費がなく断るしかない。

学校の成績もよく努力家なのだが、家族の病気などの事情で進学を諦め、地方の賃金の安い仕事に就くしかなかった人。
猛勉強をして資格をとっても、時給10円しか上げてもらえない。

リストラされ、3つの仕事を掛け持ちしながら、子供たちを育てる父親。
「子供を大学に入れるまでは自分を犠牲にしてでも。こうなったのは親の責任だから、子供のせいじゃないから・・・」

中国の安い製品に押され、干上がっていく産業。
安売り店に客をさらわれ、閑散とする仕立て屋。
生活保護を受けるには、住み慣れた家を捨てなければならない。
増える医療負担。非正社員。
自助努力という名の切り捨て。

みんなのささやかな願いが叶う日はくるのでしょうか。
2008.06.17